ポンコツ夫のポンコツな嫁

ポンコツ夫とそのポンコツ嫁が人様に役立つために書く修行的なブログ

楽しいことが一つもないという人は、楽しむ気持ちにフタしてるだけ。

米倉恵@yonekurakeiです

 

なんであの人はあんなに楽しそうにしているのに、自分は楽しくないんだろう

いつもそう思って他人を妬ましく思っていませんか。

 

  • 何をやっても楽しくない、楽しいことが見つからないという人
  • 楽しいという感覚を忘れそうなくらい楽しんだ覚えがない人
  • いつも周りから、冷めた人に見られがちだという人

 

実は楽しんで良いんだという気持ちにフタをしているだけかもしれません。

「楽しくない」とはどういう状態か

①心が満ち足りてうきうきするような明るく愉快な気分である。
(Weblio辞書)
なので楽しくないという人は心が満ち足りてない、うきうきしてない、暗く不愉快な気分、となります。

なぜ何をしても楽しくないのか

いつも自分のことばかり考えている

衣食住ひととおり揃っていて、とりあえず仕事にも就けているのに、楽しくないという人がいます。とくに困ったことはないのに、心がふさぎ込んだような気持ちになってしまいます。
それに対してとくに良いことがあったわけでもないのに、普段から満ち足りていてニコニコしている人もいます。
双方の決定的な差は何でしょうか?
いつも楽しくないという人はいつも自分のことばかり考えています。
いつも楽しいという気持ちで満ち足りている人はいつも他人のために役立つことを考えています。
人は他人から感謝され、世の中に役立っていると実感してはじめて幸せを覚えるといいます。
アドラー心理学をわかりやすく対話形式で理解できる、「嫌われる勇気」という本でも紹介されていますので、詳しく知りたい人はそちらも参考になると思います。

他人のために役立とうとする気持ちがないのはなぜか

でも、今日からすぐ実践だ!他人のために役立つことを考えよう!とはならないです。
当たり前なんです。
あなた自身が親の愛をもらってないからです。
他人のために尽くすということはいわば「愛」。
愛は見返りのない無償のものです。
生みの親であれ育ての親であれ、周りから無償の愛を注がれてはじめて「伸び伸びと」成長することができます。
自分という存在をありのままに受け入れてくれること、そして見返りを求められることのない愛を注がれてはじめて子どもは自分の居場所はここなんだ、と安心できます。
外の世界の冒険から傷ついて帰ってきてもやさしく包み込んでくれる大人がいるので、次の日にはまた元気よく冒険にでられます。
成長過程でこうした愛情を注がれることで、大人になった頃には十分満たされているのでこんどは自分以外の人…恋人であったり、子どもであったり、老いた親であったり、まんべんなく無償の愛を注ぐようになるわけです。
ところが無償の愛を知らない子どもは愛を注ぐことを学べません。
その親もまた自分のことしか考えることのできない、愛されないで育った子どもであることも多いです。
  • 子どものやることを褒めない(子ども目線で見られない)
  • 子どものいうことや達成したこと、子どものファッションなど、子どもなりに考えたことをすべて否定する
  • 子どもが楽しそうにしているとあからさまに不機嫌になる
  • 大人の都合で機嫌がいいときはやけに優しくくっついてくるのに機嫌が悪い時は子どもを邪険にする
  • ありのままの子どもを認めず、自分の考えを押し付ける
というように子どものような立ちふるまいしかできません。
これらがエスカレートすると、虐待や育児放棄という問題に発展します。
未熟な親のめんどうを見ることになってしまう子どもは、小さな頃から子供らしい振る舞いが許されず、子どもなのに子どもにだけ許されたわがままも受け入れてもらえず、大人らしさを要求されつづけます。
こうして成長しても他人に与える愛などあるはずがないというわけです。
大人になったら自然と大人の振る舞いが要求されるので、いまさら子供のように振る舞えと言われてもできないし、子供のようにって何?といった状態かもしれません。
そうやって満たされない自分の気持ちをなんとか堪えているのだから、大人になっても他人のことを考えることもままならないのは当然のことなんです。

楽しむ気持ちを忘れている

親の前では親の思うような子どもでいなければならないので、子どものときに楽しいといった感情表現すらも押し殺すことも当然あります。
なので内面から湧き上がってきた感情そのものにフタをしつづけた結果、大人になってもそれ自体を忘れている可能性があると考えています。
  • 本当は興味があるのに興味のないふりをする。
  • 本当は楽しみたいのに楽しくないふりをする。
  • 本当は知らないのに知っているふりをする。
  • 本当は甘えたいのにつっけんどんな態度をとる。
すべて感情の抑圧です。
そして親自身の価値観が正しく、自分の価値観が間違っていると信じているので自分の考えがなく信念がありません。
自分がなにを楽しいと思うのかもわかりません。
周りが「◯◯というゲームがおもしろい」といえば、自分がおもしろいと思っているのは本当は✕✕というゲームなのに、つい合わせてしまいます。

楽しいことに素直に従う

楽しそうなのを許さない親の呪縛から逃れよう

自分が楽しいと思う感情が湧き上がるのは何でしょうか?

わかりやすいのは子供の頃に好きでしょっちゅうやっていたコトです。

それらを解き放っていく必要があります。

 

反対に少しでも楽しくないな、無理してやってるなと思うことは、さっさとやめてしまいましょう。

楽しそうにしているとあからさまに不機嫌になった親になにか言われる筋合いはありません。

 

そうしてまず楽しいという感情とはいったいどのようなものだったか、ひとつひとつ思い出していきましょう。

 

自分に素直になる練習をしよう

今日からいきなり楽しいことを自由にやっていいと言われたって無理なので、ほんの些細なことからでかまわないので少しつづ自分に素直になる練習をしていきましょう。

あわせて、失敗したり情けないと思える自分を許すことも練習しましょう。

 

たとえば誘惑に負けて新作ゲームソフトを発売日当日に買ってしまったとします。

それは数千円するんですが、大人の小遣いとしては決して高くはありません。

だけどそんなとき、

  • もう少し待って中古を買えば、安く済んだのではないか
  • 新作を発売日当日に買ってお金を無駄にしてしまって、自分は我慢すべきだったのか
  • ゲームなんかに費やさず、勉強のための本に使うべきだったのではないか

そう思うことはもうやめましょう。

 

ゲームが好きなんでしょ?だったら、どんどん買いましょうよ。

好きなことにはお金をなるべく惜しまず、使ってしまったことも決して責めないようにしましょう

自分が働いたお金で(もしくは、自分が好きに使っていいお小遣いで)買うのだから

だれかにとやかく言われる筋合いはないし

なにか言ってくる人がいたら無視しましょう。

 

まとめ

親の愛情が十分に受けられないと、楽しいと思うことすら許されないと無意識に思い込んでしまいます。

楽しいことがないと言っている人は、楽しいことを見つかるまで探していないんだからどんどんトライしろとか言われたりもします。

だけど本来、楽しいことは探すものではないんです。楽しいことなんて気がついたら自然とやっていることなんですよ。本当は楽しいと思っているのにフタをしてるだけです。

 

このフタをとるには時間がかかります。

少しでもやりたい、興味があると思ったら素直に従うこと、すぐ飽きても飽きることは悪いことじゃないです。次へいきましょう。

楽しいと思うことは悪いことじゃないことを自分に覚えさせていくつもりでいっぽいっぽ歩んでいきましょう。